神様の葡萄畑No.7 未信者と真の信者でない場合死んだらどうなるのか

  • 未信者と真の信者でない場合、死んだらシェオール(ハデス)に下ります。

 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や、細布を着て、毎日贅沢に遊び暮らしていた。ところがその門前に、全身おできのラザロと言う貧乏人がいて、金持ちの食卓から落ちるもので腹を満たしたいと思っていた。犬もやってきては、彼のおできをなめていた。さてこの貧乏人は死んで、み使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。その金持ちはハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが遥か彼方に見えた。しかもそのふところにラザロが見えた。彼は叫んでいった。『父アブラハム様、私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して、私の舌を冷やすように、ラザロをよこして下さい。私はこの炎の中で苦しくてたまりません』アブラハムは言った『子よ、思い出してみなさい、お前は生きている間、良いものを受け、ラザロは生きている間、悪いものを受けていました。しかし、今、彼はここで慰められ、お前は苦しみ悶えている。そればかりではなく、私たちとお前たちの間には大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても渡れないし、そこからこちらへ越えてくることもできないのです』 彼は言った『父よ、ではお願いします。ラザロを私の父の家に送ってください。私には兄弟が5人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることがないように、良く言い聞かせてください』 しかしアブラハムは言った『彼らにはモーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』彼は言った『いいえ、父アブラハム。もし誰かが死んだ者の中から、彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません』アブラハムは彼に言った『もし、モーセと預言者の教えに耳を傾けないなら、たとい誰かが死人の中から生き返っても彼ららは、聞き入れはしない』」ルカ16:19~31

  • 未信者とはイエスをキリストと信じていない人を言います。真の信者ではないとは、「イエスは私たちの罪のために死なれ、葬られ、死んで3日目に復活したこと」(Ⅰコリ15:3~4)に、付け加えた別の何か、も信じている人です。
  • シェオールとは、死者が行く場所の事です。黄泉・陰府の国と訳されている場所、地獄。広義ではハデスと言います。暗く、熱く、苦しく、閉じ込められた状態。永遠に神から切り離された状態が続きます。体はありません。霊魂には意識があり、生きていた時に信仰を持たなかったという事を記憶しています。
  • そこで、千年王国が過ぎるまで過ごします。千年王国が終わると、肉体と魂が合体して復活(第2の復活と呼ばれます)し、彼らの行いに応じて神からの裁きを受け(白い御座の裁きと言います)、火の池:ゲヘナに投げ込まれ、そこで永遠に霊魂肉体共に苦しんで過ごします。

「また私は死んだ人々が大きい者も、小さい者も、御座の前に立っているのを見た。そして数々の書物が開かれていた。また別の書物も開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ人々はこれらの書物に書き記されているところに従って、自分の行いのよって裁かれた。海はその中にいる死者を出し、死もハデスもその中にいる死者を出した。そして人々は各々の行いに応じて裁かれた。それから死とハデスは火の池に投げ込まれた。これが第2の死である。いのちの書に名の記されていない者は皆この火の池に投げ込まれた」黙示録20:12~15

  • ハデスに行った者には、セカンドチャンスはありません。(Ⅰペテロ4:19は福音宣教の為ではなく、勝利宣言のためです。)この世で生きている時に、福音を信じるか信じないかで、死んだ後の行き先が全く違ってきます。
  • 幼くして死んだ時の行き先は、聖書は明言していませんが、神のあわれみによって天国に行っていると考えられます。
  • 福音を聞かずに亡くなった場合は、一般恩寵を通して、創造主としての神が語りかけておられる事を、どこまで体験し理解していたか、が鍵です。死の直前まで回心のチャンスはあります。死の瞬間の霊魂の状態は、生きている人にはわかりません。霊魂が肉体を離れるまでに回心があったかどうかは、生きている人はわかりません。
  • 未信者や真の信者で出ない者が、シェオールに行き、そこではセカンドチャンスがないことを聞く時、怒りや嘆きや不安に駆られるのではなく、永遠の命を頂けることを聞くチャンスととらえなおし、今こそ福音を聞く心の準備をしましょう。私たちは終末時代に生きています。時が迫っているのです。