神様の葡萄畑NO35 小夜鳴き鳥の歌(2)

神様のブドウ畑N035  小夜鳴きの歌(2)

 

2020年7月25日~26日の霊性センターにて、黙想会にあずかった時の証し

 

今日、一日にタイトルをつけるとしたら、それは「メリバの水事件から悔い改め回心し新しく創造された日」

 

メリバの水事件とはモーセが神の命令に従わなかったことで約束の地に入れなくなった出来事(民数記2~13)

 

私にとってのメリバの水事件で試されたこと(詩篇81:7)とは、

 

ある人達の社会的地位や肩書に頼って私の存在価値を満たそうとした事、又、ここ数年間、ある立場の神学の勉強をしてきたという誇りから、尊大になり、失敗し、苦い思いをしたこと。

 

それに対して、黙想会中に、ダビデが人口調査をして人の力に頼った事(Ⅱサムエル24)のように、神に頼らず、それらのことに頼ったことが誤りであったことに気づき、悔い改めたこと、すなわちその両方の関係から撤退する事を決めたこと

 

また、私は、牧師の在り方について常に問いかけを持っているが、今回そのことについての神の語り掛けがあり、牧師であることは 羊を牧する事なのではなく、羊に仕える事であったことに気づいたこと(マタイ10:42)

 

です。

 

新しくされたこととは

 

私はこの悔い改めの時同時に、「名もなき無名の生涯にあなたは本当に耐えられるか?」と神に迫られました。つまり、「わたしのために、よりあなたの存在自身を捧げられるか、より献身する覚悟があるか」と問われたわけです。

私は「そうさせてください。それを望みます」と祈りの中で、そう応答しました。

 

主はこの願いをソロモンの願いのように(Ⅰ列王記3:10)お喜びになったであろうか?

そうなっていると思います。なぜなら私のうちに働いて志を立てさせ御心のままに事を行わせてくださるのは神ご自身であり(ピリピ2:13)、目標のない空を打つような拳闘ではなく(Ⅰコリント9:26)、忍耐を持って(へブル12:1)、走るべき道のり、神のたてられたご計画、固有の召命を走り抜けて(Ⅱテモテよ4:7)行くと決断したからです。