神様の葡萄畑NO38 ヴィパッサナー瞑想会 報告

 

2020年10月3日~12日  イエズス会柳田神父様の

ヴィパッサナー瞑想会 報告(於長束西日本霊性センター)

ヴィパッサナーとは「はっきり見る」「あるがままに洞察する」という意味のパーリー語で「気づきの瞑想」とも言われています。「今、ここ」での感覚・感情・思考を価値判断せずに気づき、あるがままの観察をすることで、感覚・感情・思考と自分が一体化して苦しむのではなく、それらを自分から切り離し、アガペの心、聖霊様のまなざしで、で感覚・感情・思考に気づき、神ご自身の現存に目覚めることを目指す瞑想です。

またこれは、トマス・アクイナスの神学の再解釈-ensの世界にいながら、神の存在そのものの、人格あるいのちと真の神との交流、esseの世界に開かれる事-であり、東洋の瞑想を取り入れたものと言えます。

期間中は食事を含め、沈黙を守ります。朝6時半より瞑想が始まり、講義、食べる瞑想、歩く瞑想、聴く瞑想、観る瞑想、指動瞑想、身体の皮膚感覚や内部感覚の気づき等の実践が続きます。夜は当日の実践を、各自、個室や聖堂で復習します。瞑想会の後半は、実践したことをもとに、思考や全方位的気づきを体験し、最後は慈しみとアガペの瞑想にまで至ります。

 

私の体験

第1日目~第2日目

ただただ、呼吸瞑想の実践、息をする時の鼻の穴の繊細な皮膚感覚を体得する時間でした。私の場合は、鼻と上唇の間のドクドクという感覚に留まりました。コツは、その皮膚感覚を思考に進ませず、そこに留まり続けることです。思考が出てきたときは「後で」と言って切り離し、皮膚感覚に戻る時は「そっと」と言ってまた集中に戻ります。

第3日目

朝起きて鏡を見ると、そこには懐かしくもあり、また知らない自分を観ているようで「あなたは誰?本当の私は誰?」という不思議な感覚が生じました。昨日までの自分がもう古く感じた瞬間です。そして前の世界―頭で聖書を理解していた時―が色あせて見え始め、もうそこには戻りたくないし、新しい旅に出る感じを持ちました。

実践では、以前までは知らなかった時計の連続秒針の針の音が聴けるけるようになりました。

第4日目

指動瞑想をゆっくりしてゆくことでより皮膚感覚に気づけるようになりました。このころからより真剣に取り組めるようになりました

第5日目

ミサ説教中に使徒書10章のペテロの見た敷布のイメージがわいてきました。実は私は、この瞑想会に一つの課題を持ってきていました。それは新しく開く福音サロンに来る対象者に制限を設けるかという事でした。そのことへの答えとして、このイメージが与えられました。

第6日目

瞳の中にいるもう一人の自分を観て、前日のイメージが課題の答えとして心に平安が与えられるかを、残りの日にちで確認してゆくことにしました。また、言葉でなく沈黙の中で祈ることの楽さにも気づきました。

しかし、身体45か所と内部の感覚に気づいてゆくことは、非常に難しく、ヤコブのように格闘しました。その結果、私の場合、左の耳の鼓膜で聞こえる鼓動の音がesseの世界への扉であることを体験しました。

第7日目

なんだかもやもやしている気分に「じれったい君」と名付けて、フォーカシングをしました。アダムの創造の絵にあるように、神とアダムの指の間がほんの少し空いているように, また、扉の取っ手に手はかかっているのに、扉がまだ開いていない感覚のように、神父様に多方面から渾身込めて説明していただいているのに、私の体験がそれに追いついていない、あともう少しだけれども繋がっていない感じの原因は、やはり「おしゃべりな脳」にあるとわかり、再び、基本である呼吸法に真剣に取り組みます。

第8日目

呼吸瞑想中、エゴがあり、そのエゴを見つめる私、その私を見つめ、背後で静かに穏やかにたたずんでおられる方の存在、気配を感じ、「じれったい君」が「スッキリ君」に代わりました。赦しの時間では、私は恐れと億劫な気分に一体化し、新鮮味のない生き方をしていた事を告白しました。そして、恐れは仮想現実であったこと、神を信頼するものを神は見捨てないことを再確認しました

第9日目

私にとってヴィパサナー瞑想は、言葉の多い祈りや、頭でする神学の学びにいた事に対するコペルニクス転回の体験でした。課題に対していただいた答えにも平安でいられました。

午後の小休憩の時のことです。私が休んでいると、急にマタイ20章のブドウ園のたとえ話が浮かんできました。そして、「私は朝早くから雇われているほどの労働者ではないが、せいぜい3時には雇われた労働者であろう、まさか、5時に雇われた労働者ではなかろう」という非常な奢りのエゴがあった事がありありと明確に示されました。そして聖書を読み進んでいくと15節「わたしの気前のよさをねたむのか」という説にあたり、私は急に思い出したのです。午後3時45分でした。

― 実は、この瞑想会の初日から「ご自由にお持ちください」という棚の上に、このみ言葉が書いてある小さな色紙があったのです。3万節近くある聖書の中で、よりによって、なぜこんな言葉が書いてあるのかといぶかしく思いましたが、気になったので、頂いて、カバンの中にしまっておきましたー

カバンの中を探すと、このみ言葉の色紙が出てきました。それで私は、アダムの指と神の指が繋がり、扉のドアが開いたこと、神が瞑想会の最初から共におられたこと、目に見えないesseの世界の「ありてある存在」が、目に見えるensの世界にその証拠を残してくださっていたことだと了解し、この9日間の得心が行き、感謝をもって瞑想会を終了しました。

皆様方の上にも、ヴィパッサナー瞑想を通して、esseに開かれた体験がありますように。