神様の葡萄畑NO.45 1月31日からの1週間の証し、再びの献身。

 

私は、NO43に書きましたように牧会相談での態度を改めることを決意した時から、さらにまた変化を体験しました。

 

証し

私は1月に入ってからある方の紹介で、岡山吉備聖約教会の斎藤隆二先生の礼拝にライブで参加しています。ここのところ、ルカについての説教が続いていました。

1月31日はルカ15章放蕩息子からのメッセージでした。礼拝中、しっかりとした意識はありましたが、説教に入った途端、猛烈な眠気がしてきて、何度も目覚めようとして意識を奮い立たせましたが、牧師先生の声が、後ろに遠のく感じになることが何度か続きました。

後で思うと悪霊は私が悔い改める事を妨害しようとして、絶対にこの説教を聞かせたくなかったのでしょう

そんな中で、息子に対する父の愛への解説の時に、放蕩息子を自分に重ねて、父から遠く離れていたけれども、父のもとへ帰れと促され、悔い改める事を決心できました。メッセージを聞いた後は再び意識がはっきりしました。そしてすぐに私は、思い出せる小学校5年からの罪に遡って、罪として告白し、より献身することを誓いました。

 

―と、同時に、このところ、カトリックの時の堅信の代母さんからの紹介で読んだ現代の神秘家ヴァスーラ・ライデンの「天国は現実、しかし地獄も現実」「神のうちの真のいのち」より、悪霊がどのようにして誘惑してくるのか、神はどのように人の霊魂を救われようとしているのかについて理解してゆきました。また同じく神秘家のマリア・ワルトルタ「イエスの受難」「マグダラのマリア」によって、通読や今までの黙想ではわからなかったイエス様の実像がわかり始めるようになってきました

また昨年よりある霊的姉妹と聖霊内住の分かち合いをしており、明確な聖霊体験をさせてくださいとも祈っていました―

 

その日の晩、私は突然、今までに体験したことのないような耐えられない激痛―まるで、まさに赤ん坊が生まれ出ようとするような短い継続的な陣痛と後産の痛みのようなものが頭に走りました。尋常ではない痛みが約2時間続きました。私は、とっさに、私の中に当然のように居座り、巣くっている悪霊が、神のきよめによって追い出されてゆく!事を知りました。 少し痛みが和らぎ、しばし、まどろみましたが、明け方、再度同じ激痛が走り、罪の総告白をし、創造主なる神、イエス様、聖霊様、守護の天使の覆いを必死になって祈り求めました。

 

月曜日、念のためにMRIを取りに行きました。MRIの機械に入っている間中、もし全く正常な脳だったら、もっと悔い改めて、イエスの神の道のみを歩いてゆくことを誓いました。そのうちにアカンの罪という言葉が浮かび、偶像を聖絶!することも宣言しました。

検査が終わって診断してもらうと、脳は全く正常で、出血も動脈瘤破裂痕跡もありませんでした。それで私はますます、悪霊が神によって追い出されてゆくことを確信しました。

 

このような激痛が、複数回2月3日まで続きました。一方で示される限りの偶像と思われるものを捨てました。

―例えば、不純な動機、不品行で邪悪な思い、怒り、落胆、落ち込み、失望、うぬぼれ、思い出、怠慢、生ぬるさ、心理学的思考、なんであっても知らず知らずのうちに、自分の生きる糧であった中心的核心的なこの世の思考、つまり、ゲッセマネの園で退けてほしいと主が思われた盃の中にあったウジのように汚れたもの、すべてです。

それを見ると、過去を思い出し、魅惑的で気持ちよくなる物、たとえ、十字架像であってもそうです。私はアメリカに行った時に記念として買った美しい十字架さえも捨てました。激しい痛みを体験する中で、主が背負ってこられた苦しみや痛みは、人の目に見える美しい飾りの十字架で象徴するものではないことが、はっきり、わかったからです。

また、私の痛みは頭だけでしたが、これ以上の痛みをイエス様は全身に受けられた事に私は涙しました。それほどまでにして身代わりとなられたこと、あなたの為ならもう一度死ぬと言われたこと、神の圧倒的な愛の深さに、ひれ伏すしかありませんでした。

 

悪霊は、私の体の中に、人格の中に、魂の中にすっかり、あるじのように住みつき罪とわからないまでに私と一体化していましたので、悪霊もこの体を絶対離すまいと、激しく抵抗しましたが、聖霊によって、イエスの血潮の血潮によって、追い出されました。出る時は、咳や嘔吐が伴いました。癲癇の少年から悪霊が出て行った時のようでした。

後は脱力状態で、ヘロヘロに疲れ、筋肉の痛みが残りました。それからは普通の片頭痛が続きましたが服薬によって改善されました。

 

神は聖であるからあなたも聖であれと言われます(レビ11;44)イエス様にとってイエス以外に心を寄せるものを霊魂のうちに住まわされることを忌み嫌われます。また妬む神であるので神以外のものが心に巣くうことをきらわれるのです。そうしたものをいつまでも持っていたら、-自らの意思で捨てなければ―神は色々な事を通し、生木を裂くようにして、奪い取ってしまわれます。キリストの道を歩むとは、自己犠牲、生贄、苦痛と困難が伴います。それは楽な道ではありません。

悪霊追い出しの後は、空になった霊魂に、悪霊が7つの友を呼んで戻ってこないように聖霊で満たされることを祈っています。

 

 

悪霊はいつわりです! 欺きです! 天使のように現れて最後には神から離そうとして近づいてきます。

 

さてこのような出来事の結果、牧会相談者をしての道がこれからの私の第1の召命ではないことがわかりました。それで長い間やってきた牧会相談を辞め、識別をしたことを書きためてゆくことへと役割をシフトしてゆくことにしました。

私は再び霊が新しくされ、召命の道を突き進んでゆきたいと思います。その道は、険しく狭い門から入ります。また、さまざまな偽りによって悪霊が光の天使としてもやってくるでしょう。しかし、私は、闘い続けます。すでにイエスは勝利されたのですから。

 

この間、聖霊様に感謝と賛美を送ることはもちろん、私の伴走者として支え、分かち合ってくださった霊的姉妹たちにも感謝です。