神様の葡萄畑NO54  祈りに力を

拙著「霊性の神学を生きる」では、本年3月までの霊的出来事をまとめました。それ以後、また進展していっていることを、今日は書きたいと思います。

私がカトリックで学んだものは、「沈黙の祈り」と言われるものであったことが、最近わかり、私は今までクリスチャン生活の長い間、沈黙の祈りを続けていたことを知りました。その代表はレクチオデビナだったわけですけれども、最近は、「発声の祈り」があることがわかり、私の祈りの生活にそれが加えられました。「発声の祈り」は文字通り、声を出して祈る祈りです。イエスの血潮の宣言、み言葉による宣言もこの部類に入ります。そして異言での祈りもそうです。

異言の祈りにつて、私は異言を否定するある牧師の言葉に長い間縛られていました。私が頂いたものは悪霊の言葉であり、頭で考えだした脳波の刺激である、短い濁音の繰り返しは異言ではなく、本物の異言なら知らない国のある文章になっているはずだという意見です。

それで、私は異言を解き明かす賜物の人に確認しなければ、神を賛美していると言いながら、実は悪霊による言葉で神を汚しているのかもしれないと思うようになって、異言を出すことができていませんでした。しかし、イエスの血潮の宣言、み言葉による宣言の発声の祈りをしてゆくことによって、私が頂いたのは間違いなく、聖霊様の言葉である異言だという確信がもたらされました。

私がカトリックに関っていたという事で、躓きを覚える人たちがいます。しかし、私は、オンヌリ教会のカン・グレイス牧師の動画や著書によって、プロテスタントでも、同じ内容の祈りがあることを確認しました。このことによって、勇気が与えられ、自信をもって「沈黙の祈り」と「発声の祈り」を合わせて続けてゆくことに進展させました。これは私の脱カトリック体験でもあり、脱エキュメニカルへのシフトです。また、牧師としての止揚の体験です。

この恵みに導いて下さった三位一体の神様に感謝し、ほめたたえ、栄光をお返しいたします。