神様の葡萄畑NO.58 執り成し手としての「Aさんの不登校からの回復」の証し

~私たちはキリストにあって祈り、いつまでも自分が無力だと弁解をしてはいけない~

Aさんは、新学期が始まり、数か月して、「面倒なので学校に行きたくない」と言って休みがちになり、しばらくしてぱたりと学校に行くことができなくなりました。

学校に問題があったわけではありません。先生もよくして下さっていました。いじめがあったわけでもありませんでした。学校に行けた日は、とても楽しく友達とおしゃべりをして帰っていました。親は大変心配しましたが解決策が見つからず、心療内科のカウンセリングもカウンセラーを信頼することに時間がかかり、思わしい結果は出ておりませんでした。

そこで、私は、不登校の背後に親子関係のこじれが見えたので、親に役割の確認をし、検討するように提案し、1回、家族会議を開き、親子で話し合い―子供の言い分を聞く―をしましたが、事態は好転せず、相変わらず不登校は続いていました。

一方、私は、この事の解決の為に、執り成しの祈りを始めていました。

まず、この家系に入っている霊的偶像礼拝、恐れ、自意識過剰、反抗、不従順、分裂、争いなどの様々な罪を介して入ってきた多くの汚れた霊を、イエスの血潮で縛り追い出し、呪いを断ち切りました。関係者の罪の悔い改め、イエスの血潮で主にあって自分は何者かの宣言の後、詩篇で祈り、聖餐式、断食、先取りの感謝の祈りを繰り返しました。

切実に、緊急性をもって、粘り強く、神に祝福の契約を思い出してもらい、憐れんでもらうように心から祈りました。これらのことは、Aさんと物理的距離があっても、キリストにあって可能です。

その結果、数日後Aさんは、突然、学校に行ってみる気持ちになり、家族の協力を得て、実際に学校に行きました。一足飛びに全面復帰とはなりませんが、すがすがしい気持ちで通学できるようになったことは回復です。自信と笑顔も回復されました。

Aさん親子は幼い信仰でしたが、小さい者を用いて神は偉大なことをなして下さいました。ここに人間の力や誇りではなく神の力が発揮されたことがよくわかります。

Aさんは、後日、なんだか、神様に押されているようで行く気になったと言われました。

私たちはあまりにもこの世の知恵や人間の計画、この世の知恵に頼りすぎています。一般的に言われているような親にも子にも反省すべき点はありましたが、この世のハウツー論では、或いは、受容と矯正だけでは解決できません。クリスチャンなら神により頼むことこそが解決です。人にはできないことも神にはできます。神に不可能なことはありません。

神は、傍観者ではありません。私たちが、真剣に、神ににじり寄り、長血の女のように、ヤコブのように、癒しをもらうまでは去らせませんという強い信仰で臨むとき、神は、祈りを聴いて下さいます。私たちはキリストにあって無力ではありません。神はすでに勝利して下さいました。それを信じる信仰を働かせることが必要です。

キリスト者が聖霊に促されて、変えていただける姿を見られる事は私の喜びです。

ハレルヤ!神に栄光。神に感謝。