神様の葡萄畑NO.59 聖餐の不思議と力

聖餐式をいつでもどこでも捧げましょう

聖餐式は牧師がするものと思われていますが、やり方を順守すれば、 牧師の専売特許ではなく、万人祭司の観点から、キリストを信じる真の信者ならば、できると考えています。

なぜなら、聖餐はキリストが死んで復活されたことを一番身近に感じる礼拝だからです。聖餐式をキリストを記念として思い出すという限定的な意味ではなく、癒し、力として体験する必要があります。聖餐式が仰々しい行事ではなく、日常に組み込まれて習慣化されていれば、実際に癒し、解放、平安、力が与えられます。

例えば、種無しパン(クラッカーでもよい)とぶどう酒(ぶどうジュースでもよい)を用意して、このように初めてみましょう。

まず、心を整え、ヘリくだり、真心を込め、感謝をもって御前にでます。

マタイ26:20~29をしばらく黙想します。その中で出てきた思い当たる罪を告白し、ゆるしをいただきます。

パンを手に取り、

「このパンはイエスの引き裂かれたからだをあらわします。イエス様、あなたは、十字架につけられ、私たちを贖ってくださいました。私には霊魂と体の癒しが必要です。これらをすべて癒してください。そして、イエス様の愛と自由を与えて下さい。感謝してこのパンを御体としていただきます。」

続いてぶどう酒の杯を手に取り、

「このキリストの流された御血によって私たちの罪が赦され、聖められました。私たちは血潮によって勝利と永遠の命をいただきました。神の子供、相続人としてふさわしい歩みに導いて下さい。血潮で覆ってください。私が重荷を負っている方々も血潮で覆ってください。

血潮を感謝していただきます。」

いかがですか?日々の聖餐の中でキリストの臨在を感じてみませんか。