神様の葡萄畑No.60 10月12日の黙想書道ヘセッドでの恵み

今回の書の箇所は、ヨハネ1章35節~51節 ―イエスの最初の弟子たち― でした。

黙想書道は、ファシリテーターのもとに、沈黙のうちに静まることから始まります。

祈りの間はロウソクに灯をともします。開会の祈りの後、ゆっくりと丁寧な聖書個所の朗読を聞きます。その後、沈黙をして40分程度、聖書個所を筆で書きます。

書いている間に、心に響く節、文、単語に留まり黙想します。一筆、一筆、深い呼吸、浅い呼吸を繰り返します。

時間が来たら筆を置き、第1ラウンドでは、一人3分程度の黙想箇所の発表をします。第2ラウンドでは、N:新しく発見したこと・E:再確認されたこと・R:自己認識が新たにされたことなどを一人3分程度で発表します。発表は言いっぱなしの聞きっぱなしです。

最後は再び沈黙して、神の語り掛けを聴き、頂いた恵みを心に刻み、感謝して終わります。

私はこの個所から

37節:ついて行った

38節:あなた方は何を求めているのですか

39節:来なさい。そうすればわかります ついて行って 知った イエスと一緒にいた

43節:従ってきなさい

48節:イチジクの木の下にいる(=祈っていることを表わす)

50節:イチジクの木の下にいる さらに大きなものを見る

にそれぞれとどまり、黙想しました。

今回の黙想で分かったことは、

N:イエスは来なさいと命令されている。

E:イエスについて行って、一緒にいて、祈っていたら、イエスを通して天が開かれることがわかる。それは本当にイエスについて行った人にしかわからない。

R: 38節:「あなた方は何を求めているのですか」に対して、50節:「さらに大きなものを見る」という答えがあった事 です。

実は、私はここのところ、聖霊様に関する本をたくさん読んでいます。今、信仰の試練にあって、聖霊様に満たしてほしいことがあるからです。その答えは「さらに大きなものを見る」でした。

聖霊様に関する本には、癒しや奇跡、聖なる倒れ、笑い等の不思議体験が多く書いてあります。私はそのような聖会にも参加したことがあり、実際に、不思議を見たこともありますが、それを期待して祈っていたわけではありません。

しかし、神は、私が考えていること以上に「大きなこと」を見ると言われました。

逆に言えば、私の期待は小さすぎ、神様を過小評価していたわけです。神様をがっかりさせていました。私は不信仰を悔い改めました。

「さらに大きなこと」とは何かわかりません。けれども、神は期待してよいと言われました。最後の黙想の箇所で、終末時代にコロナ禍もあって少々落ち込んでいたところに、聖霊様によるリバイバルが思い起こされました。そうです。実際、個人が、家庭が、教会がリバイバルされなければ、閉塞感のある時代を乗り切ってゆくことはできないことを、神は改めて示してくださいました。私はこの黙想で神様に対する良い期待と勇気を持つ事ができました。感謝です。

ハレルヤ!

わたしの思いはあなた方の思いと異なり、

あなた方の道はわたしの道と異なるからだ。

 ―主のことば―

 天が地よりも高いように、

 わたしの道はあなた方の道よりも高く、

わたしの思いはあなたがたの思いよりも高い  イザヤ55:8~9