神様の葡萄畑NO.65 黙想書道―宮清め―

今回の黙想書道は、ヨハネ2章12節~25節のイエスの宮清めの箇所でした。

私はこの中で12節の{滞在された}と負いう言葉が心に響き、その言葉に留まりました。

そして、{滞在された}という聖句を30回程度書きました。その中で…

私の霊の中に滞在されるイエス!滞在されるイエス!

滞在するという言葉から「くつろぐ」「ゆっくりする」「休息する」というイメージがわきました。それは暖かく、明るい光を伴う体験でした。イエス様が私の中に滞在される時、私はどのようにもてなすのか、と、問うた時、イエスが一番喜ばれることをする―それはマリアのように足もとでイエス話を聴くことだと思いました。信仰は生きる事=キリストを体験する事。私はフットワークの軽いほうですが、このように、ゆっくり、じっくり、イエスの言葉を聴くことが、イエス様が喜ばれることと、この黙想の中で、体験しました。

また、他の人の分かちあいから、今回、新たに気づいたことは、15節の鞭をもって商売人を追い出す箇所は、イエスの怒りではなく父なる神に対する愛の行動として、愛をもって、宮清めをされたという事です。

再確認したことは、この個所は、多くの説教では、イエスの怒りとして紹介され信者の躓きとなることがありますが、イエスは怒りの人ではなくあくまでも愛の人であったという事です。

関連づけて考えたことは、この個所は実際にイエスが宮清めをしたというだけでなく、私の霊に滞在して宮清めをしてくださっているということ、追い出し、散らかし、倒されるのは、羊や牛、金、台ではなく、私の中にある罪や汚れた思いを追い出されているというイメージを持てたことです。これによって、黙想が生きた生活と繋がりました。

このような黙想ができたのは、他の分かち合ってくださった霊的姉妹達とのダイナミックな霊の動きがあったからです。

主に感謝。神に栄光!