神様の葡萄畑NO.70 聖霊様の風に乗ってゆきましょう。

私が12時間祈祷聖会に行って1か月たちました。この間、様々なことが起こりました。まず、証しでも書いたように癒しがありました。そして新しく方向を変えて出発することになった時に、集っている方々に変化が現れました。新しい方向への警告をする人、去る人、距離をとる人、活動休止する人などです。しかし、一方では、新しく信仰告白する方も現れました。この中で神が何を言われようとしているのかを日々問い続けました。そして理解できたことがあります。

燃えている三日目の教会に進むためには、霊で始まったことを、肉で終わらせてはいけないという事です(ガラテヤ3:3)。肉で終わらせるのは簡単です。それまでの習慣や伝統に従い、知的理解に邁進するーこれは今の世にジャストフィットです、皆、知識を求めているのでーことで生活は満足できます。そして、それで救いから落ちるのではなく、やはり救いの中にいるのですから安泰です。あとは天国を待つだけです。癒しはないけど、そんなに困っているわけではない、礼拝も学びも守っているし、祈っているし、まあ、なんとなくやっていける。そんな状態です。それが何か?問題ですか?

(ちょっと待ってください。私たちは重要なことを見逃しています。創世記2章3節には日本語に訳し切れていないヘブライ語―原文では一番最後に、「らアソット」という言葉―があります。これは「~で仕上げるために」という意味だそうです。エデンの園でアダムとイブは創造され、神から地の上を這うすべての生き物を支配せよと言われましたが、残念ながらその支配権をサタンに奪われてしまいました。しかし、イエスによってサタンは負かされ、私たちは贖われ義とされ、神の共同続人となりました。私たちは任された王権を使うことができるようになったのです。なので、救われておしまいではなく!王権を使い、本来するはずだった神の国を地上にもたらすこと、「仕上げる事」をしなくてはいけないのです。そのことがなるように神は待っておられるのです。神は変わることのないお方です。ヘブル13:8。この命令は今も有効なのですⅠペテロ1:25)

ここで、私たちは天の領域で起こっていることを体験しに行くことを選びました。火のバプテスマ(マタイ3:11~12)、さらに厳しいへりくだりの道を行くことにしました。

この道に激しい警告を唱えているグループがありますが、なぜ執拗に激しく反対を唱えるのかを、神に問うた時に、その現象が宗教の霊によって覆われていることがわかりました。つまり、終末時代に、霊に燃えている教会になっては困るのです。肉のままでとどまらせたいのです。「仕上げる事」に反対なのです。これらのことは知的分析や理論闘争によっては理解できず、解決はありません。霊の事だからです。御霊に属することは御霊によって判断するものだからです(Ⅰコリ2:149)。耳がふさがれ、真理が聴けなくなっている状態ではリバイバルは起こりません。

これから新しい学びと体験に入ります。スケジュールも変わりました。神は新しい霊達を求めておられます。既存の教会では見つからないかもしれません。あるいはレムナントは、すでに求め始めているでしょう。コロナ禍にあって、礼拝のかたち、学ぶ方法、集う方法が、以前より自由に開かれました。変化の時です。聖霊様の風に乗ってゆきましょう。

神の臨在を求めてやまない者の上に神の祝福がありますように、イエスの御名によって祈ります。