神様の葡萄畑NO75 癒しを受け取るためにまず必要なことは、罪の悔い改めでした。

私はある症状の癒しを現実のものとするために、2月中旬の祈祷会から、悪霊が持ってくる悪い思いと闘っていました。悪い思いというのは、「治りっこない!」という強い非難です。Ⅰペテロ2:24 のキリストの打ち傷ゆえに癒されたというみ言葉を、何度投げつけても、逃げません。イエスの名で退けよと言っても、悪霊はいう事を聞かず、悪い思いをもってきました。

5月になって、恵那レーマミニストリーで、その症状が現れる悪い部分に悪霊がしがみついているという事を学んだので、まず、耳自体―耳が悪かったわけではありませんがーにしがみついて絶えずささやきかけ福音を聞かなくさせ、耳をふさいでいる耳栓のような悪霊に向かって、「地の底に行け!二度と取り付くな!しゃべるな!」と命令をしたら、黒いもじゃもじゃの虫のようなものが、慌てて手足をばたつかせて吹っ飛んで出てゆきました。

引き続き、癒しについて学び、症状の根源は罪にあり、症状はサタンが持ってくるという事がわかりました。そして前から理解できなかったヨブ2章がーヨブがサタンに訴えられて全身はれ物に覆われたのは、ヨブが心に罪を持っていたからサタンの訴えを、神が仕方なく許容されたという事―理解できました。

私は、一般的な自分の罪や、気づいていない隠れて潜んでいる罪、先祖と家系の罪も一族の代表として悔改めてはいましたが、それらが形式的な告白になっていてしまっていました。そんな中である日、マラキ3:8~11が示されました。示されたのは、什一献金のことではなく、私が他の人の利益を損なっていたことをしたことに思いが及び、すぐに心から悔い改め神に告白しました。このことで神との関係が回復しました。そして古い魂の都市(古い思考の方法)が壊されるように、また症状をもたらす各器官に正しく働くように命じました。するとどうでしょう。感謝なことに、症状が非常に軽くなったのです。ここ数年間ないくらいに穏やかになりました。

聖霊の賜物による癒しは瞬間です。私は聖霊の賜物を使って癒されたのではなく、普通の人ができる時間のかかる徐々に起こる癒し―マルコ16:18―を使いました。霊の世界ですでに済んでいることを現実にするためには信仰と忍耐が必要です。この忍耐は、イエス様がゲッセマネの園で体験された苦痛を自らのものとして取り込み同じように苦しむことで鍛えられます。この忍耐を鍛えるために信仰を使ったわけです。癒しを宣言してから、現実にはなっていないことでも癒しは現実になると信じ続ける事―いくら時間がかかるかわからないことを信じて待つのが信仰です。

この忍耐の期間に生じる疑い、高ぶり、恐れ、迷いも悪霊が持ってきます。それに同意せず、闘って追い出さなくてはいけません。追い出す力のあるのは私の中のキリストですが、闘うのは私です。私が今の時点で学ぶべき信仰の使い方を学んだ時、解放されます。あと少しです。

ヤコブ4:7 ですから神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば悪魔はあなた方から逃げ去ります。

Ⅰヨハネ1:7 もし私たちが神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪からきめてくださいます。

ヨハネ5:14 …見なさい、あなたはよくなった。もう罪を犯してはいけません…

Ⅰコリ10:13 あなた方が経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなた方を耐えられない試練にあわせる事はなさいません。むしろ、耐えられるように試練と共に脱出の道を備えてくださいます。

神に栄光!神に賛美と感謝を捧げます。