神様の葡萄畑NO78 癒しを完全に現実にするまでの間にあるタイムラグの時に起こる事

いのちの言葉をしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分が努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄ではなかったとキリストの日に誇ることができます (ピリピ2:16)

私は福音派にいる時は「~して下さい」という祈りをしていましたが、聖霊派に移り、それは初歩者の祈りであることがわかりました。なので今はすでに天で備えられた祝福を現実に知るための御言葉の宣言とすでになった事への感謝の祈りに変えています。

しかし、ここで重要なのは、天で成就したことを現実にするまでの間にあるタイムラグをどう過ごすかです。

癒しの賜物を持った人による宣言は瞬時に回復しますが、普通の人の癒しは、だんだん回復してゆくので、祈ってから実現するまでにタイムラグがどうしても生じます。

いつも前向きに、み言葉を信じて宣言し続けられれば良いのですが、いつ現実になるのかがわからないので、いつ起こるのだろうか?果たして現実になるのであろうかと疑問が出てきます。祈りが聞かれない時間が長引くと、疑いや焦りが生じ、かえって事態が悪くなってゆくようにも感じ、負のスパイラルに巻き込まれてしまいます。

これが非常に苦しいのです。信じる、信じようとしても、外部からの声(悪霊)と私の古い魂の声が「無理だ!できない!かなえられない!」と言ってきます。小さい声の時は振るい落とせたり、無視できますが、この声が続くとすっかり不信仰に逆戻りして落ち込みます。

サタンは「やっぱり駄目だった」と言わせたいし、古い魂の私も「やっぱり駄目だったね」とその声に同意したくなります。ここが新しい魂と古い魂の戦いです。

古い魂を壊す事、これは聖霊様にお願いします。と同時に、自分で心掛ける事があります。

それはなんでも疑い、ちょっとしたことを大きな拡大鏡で見続ける事をやめる事です。考え始めたら、気づいてやめる、また考え始めたらやめる、を繰りかえすわけです。思考の言う名の戦場の攻防です。戦争はウクライナだけで起こっているのではなく私の頭の中にあります。敵の思いの一掃作戦を繰り返してゆくことです!黙想していると自分では思っていても、実は古い魂の言い訳を繰り返しているにすぎないのです。それは必要のない間違った黙想です。

また、落ち込んでいる時には、いくら正しいと思っていてもみ言葉が出ないことが多々あります。まるで霧と霞がかかったように、日の光が入ってこないことが続きます。これは十字架にイエス様がかかった時にあの暗闇ですね。黙示録に暗闇が苦しいと言うのをここで実感できます。不安や失望、落胆によって、まるでオセロの黒の石にさぁっと変えられてゆきます。この黒の攻防に攻められたり、白に取り返したり、一進一退の戦況です。

さて、この状況をどうやって解決できたのでしょうか。次号に続きます。