神様の葡萄畑NO82 人の言い伝えを退ける

来たれ、平伏し、膝をかがめよう。私たちを造られた方、主のみ前にひざまずこう。まことに、主は私たちの神、私たちはその牧場の民、その御手の羊。今日、もし御声を聞くなら、あなた方の心を頑なにしてはいけない。メリバでのように。荒野でのマサでの日のように。(詩篇95:6~8)

私は今まで癒しに関して、人に言い伝えによる間違った教えを信じていたことが、カリー・ブレイク氏のセッションを読んでわかりました。その内容は例えば、以下のようなものです

・世代の呪いがある。→この点に関して、以前に行っていた聖霊派の教会の聖会では、ある人に対して「あなたの呪いは今から10代前までは解決しました。」というのを聞いたことがあります。先祖の呪いがずっと続いているという事です。この教会だけではなく、他の教えでも世代の呪いは続いているというのを目にしたことがありますが、これは聖書的に言うとイエスの贖いの否定で、間違っています。世代の呪いは解かれています。

・罪があったら癒されないのでまず告白する事。→以前のブログで罪の告白をしたことを書きましたし、最近の別の聖霊派の学びでもそう教えられましたが、罪を犯すのをやめて 神に立ち帰らなければ癒されないのであれば、イエスの初臨の際に、御心において罪人を癒しておられたことに反します。

・正しい姿勢と順番、言葉で祈るかが重要ではない→私がキリストと繋がり権威ある立場として命令をすることに効果がある

・癒しを得るためにふさわしい賛美が必要→癒しのための宗教的雰囲気は必要ではなく、いつでもどこでもどんな状況でも癒しは起こる

・病気の元の罪をカウンセリングで発見する→イエスは分析して罪を特定し癒されたのではない。ただ権威によって命令された。カウンセリングは癒された後に必要ならばする。癒しが先。

・新しい油注ぎがいる→イエスを信じて告白している者ははすでに油注ぎを持っている

・癒しの単に為に特別な信仰がいる→癒しは事実、すでにある(Ⅰペテ2:24)のでただ信じる事

まだ他にもあると思いますが、これらはおもに、癒しを受け取るために必要と思われていた人の言い伝えによる宗教的律法主義でした。これらから解放されることで、癒しがずっと楽に起こることがわかりました。この点に関しても、イエス初臨の時は、悪魔に対する業として癒しがたくさん起こされていたが今はめったに起こらないと言うのも嘘で、事実、今も癒しは癒しはたくさん起こっています。

信仰生活は複雑ではなく、とてもシンプルなものです。複雑に考える事によって律法主義が入り込んできます。ヘブル3:19にあるように、安息に入れなかったのは不信仰によります。私は不信仰を改めます。